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「銀天」アーケード還暦 小倉・魚町の400メートル にぎわい支え輝く [北九州市]

「銀天」アーケード還暦 小倉・魚町の400メートル にぎわい支え輝く

北九州市小倉都心部の商店街「魚町銀天街」(小倉北区)のアーケードが10月、設置から60周年を迎えた。日本初の公道上のアーケード。その下で先代から「はまだ洋装店」を営む浜田浩三さん(73)は、1951年に完成し、“還暦”を迎えたアーケードとともに、商店街の盛衰を味わってきた。「この屋根が人々を集め、魚町の繁栄を支えてくれた。まだまだ共に頑張っていきたい」と万感の思いだ。

 浜田さんらによると、商店街の近くに百貨店があり、雨の日に客を奪われるのを案じた店主たちがアーケード設置を発案。51年10月、勝山通りから魚町までの約130メートルを完成させた。総事業費約5千万円は、30店舗ほどで出し合った。

 当時中学生だった浜田さんは、先代の父芳雄さん(97年死去)が経営する店の上に住んでいた。「工事の騒音と屋根ができる期待感で夜も寝付けなかった」。完成した屋根はジュラルミン製で「キラキラと輝いて、まさに銀天井だった」と目を細める。

 完成すると、全国の商店街関係者の視察が相次いだ。珍しさも手伝って客足が急増し、商店街は「真っすぐ歩けないほど」(浜田さん)の混雑ぶり。浜田さんが店を継いだ63年以降も繁栄は続いた。

 だが、山陽新幹線の岡山-博多間が開通した75年ごろから、魚町も斜陽の時代を迎える。福岡都市圏に買い物に行く人が増えたのだ。郊外型商業施設の出店も進み、中心商店街の通行量は減少の一途をたどった。

 客足を取り戻そうと、店主たちはイベントを開いたり、品ぞろえを工夫したり努力を重ねてきた。「先人が築いたアーケードの下で生きていくしかない。みんなその一心でした」。その熱意が実り、市が1998年から始めた調査で、昨年初めて通行量の減少が止まった。「商店街は冬の時代と言われるが、まだまだ必要とされているとあらためて感じた」

 今、浜田さんは「アーケードの一番の恩恵は、その下で培われた店主同士の連帯感」と思う。アーケードは延伸を重ね、現在では全長約400メートル。屋根でつながった店が連携し、歳末セールなどを続けている。

 アーケードを「一蓮托生(いちれんたくしょう)の弟のような存在」と語る浜田さん。小倉都心部を南北に貫く銀屋根を見上げるたびに「お互い長生きして、地元に貢献しよう」と心の中で呼び掛ける。


昨年改装してきれいになりましたよね
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